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2020年05月29日
身体と心の関係性~ボディワーカー時代の思い出~

封印した箱を開いてみたらいなつかしい写真や資料が出てきました。
NOTEの自己紹介のほうにじぶん歴史と年表を書いてみようと思いましたが
あまりにネタが濃すぎて
なかなか終わらないのでこちらに思い出を語ってみます。

サロンをOPENしたのは19年前、2001年の春でした。
1999年はいろいろあった年で
初めて「師」と仰いだ気功の先生がおかしくなってしまったことがショックで
わたしはスピリチュアルな世界から遠ざかりたいと
トレーニングジムに通いはじめたものの
凝り性なのでやりすぎて体をこわしてしまいました。
神経性胃炎からの背中の痛みも重なり、つらい日々でしたが
その時に近所で中国人の経営する「経絡整体」に通い始め
身体が治ったことがきっかけで経絡に興味を持つようになりました。
藤沢を飛び出して別居したばかり、
子供が小学生になったら子供服屋を改装して
リラクゼーションのお店にしよう。
年を取っても手に職があれば、なんとか生きて行けるだろうと
マッサージを学びに整体学院に通い始めました。
子供の頃、唯一父親にほめられたのはマッサージだったし
18歳の頃からマッサージ愛好家。
てぬぐい一本で世界を旅したマッサージ師の話も印象的で
もし言葉も通じない外国で一文無しになっても
路上でマッサージして日銭をしのぐ自信があるからこわくない。

アジア風のサロンなんて都内でもほとんどない時代。
バリ島に買い付けの際、流行りはじめたばかりのバリエステに行って
お花を浮かべたバスに入ったとき、
これを足でやるなら素敵だなと閃いたら
イメージがどんどん降りてきました。
床材から家具まですべてバリ島からコンテナで運びました。
大好きなバリを都会に運びたかったのです。
バリの言葉で時間のことを「JAM」ということを聞いたとき
「島の時間」・・・・
「アイランドジャム」とインスピレーションが降りてきました。
子供服は「JANGLE JAM」だったので語呂もいい。

約20年前の当時は「リフレクソロジー」という言葉も珍しかったあの時代、
隣のビルには英国式で有名な「日本リフレクソロジー学院」があって
3名のオープニングスタッフはそこの卒業生でした。
周辺は東中野の山手通り沿いのオフィス街だったので、
キャンペーンチラシを置いておくと通りすがりのお客様が来てくれました。
その合間に、いろいろな講師を呼んでみんなでボディワークの練習しました。

整体、アロマセラピー、タイ古式マッサージ、
フェイシャルエステ、ネイリストや算命学の先生まで。
講師料もすべてお店の負担、なんていいオーナーさん

実は当時、自分に自信がなく、
写真もあまり撮られたくない人だったので
セラピスト時代の写真はほとんどないのが残念

こうして世界にひとつの癒しのスペースが完成。
都会のオアシスでありたいと
小さなお店に8つのスピーカーを置き
下のスピーカーからは波の音、
ひょうたんスピーカーからはせせらぎの音、
3Dの自然音でマイナスイオンを発生させました。
プロデュースしてくれたのはかつての大親友、
自然音第一人者である故・中田悟さん
いるだけで癒されるサウンドヒーリングシステムを導入しました。
お店にはいつもお香やアロマが香り、
「南の島のやしの木の木漏れ日の下でお昼寝」の雰囲気を
友人の内装デザイナー、砂川さんが作ってくれました、(沖縄のジャム内装もこの方に)
クリエイティブな人たちと話しているとどんどんと夢が広がってゆきます。

モデルは特別講師に来ていただいた
カリスマボデイワーカー蓮華堂ヒロ(三和尋)さん(今も大島と恵比寿のサロンで活動中)
スタッフも含めわたしの周囲には
その道を究めるスぺシャリストが多いのだけど
わたしは今も昔も、広~く浅~くの多趣味多芸多才タイプ。
常連さんが増えると同時に
メニューもどんどん増えすぎて
新しいスタッフが入るたびに、施術を指導するようになりました。
なんらかの施術ができる人にほかのメニューもこなせるように
短期間で仕上げなくてはならない。
それが後々の仕事となるとはそのときは考えても見なかった。
セラピストたちと交換セッションをするたびに、
そしてあちこちのスパやマッサージを受けるたびに体で習得しました。
整体スクールの恩師がサロンに来てくれては
「君の施術はサウナのマッサージみたいだね」と
毎回、嘆いていました
師匠は治療家系でしたが
うちのサロンはボロボロに疲れた人が爆睡したり

心が疲れた人が爆笑する場所だったのです
スタッフは癒し系、わたしはお笑い系痛ギモ女王として君臨
自分が気持ちがよいと思うことを人にしてあげたくなる。
「痛いけどやめないで」
と
「痛いからやめて」の違い。
予め、お客様とサインを決めましたが
ほとんどのお客様はやめないで派
ドMの気持ちがわからなければドSにはなれない・・?!

南国スペシャルコースという2時間半のコースが人気メニューでしたが
「女性は女王様気分に、男性はセラピストが女王様に」という
キゃッチフレーズでした
そんな風に遊び心満点のボディセラピスト生活。
ボディの勉強もがんばって習得しました。
【セミナージプシー経歴①】
創建クラーク整体学院のカイロプラティック整体療術士コース
経絡オイルマニュピレーション
ヒーリングバイブレーション
ワットポータイ古式マッサージスクール
タイ式リフレクソロジー台湾式リフレクソロジー
・英国式リフレクソロジー・アロマトリートメント
ハワイアンロミロミ・ホットストーンセラピー
操体法・楽健法・
クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)
気功/・ヴェーダシャクティ(ヴェーダレイキ)/臼井レイキ
スピリチュアルから遠ざかるためにはじめた整体のお仕事でしたが
こころとは切り離せないと気づき始めます。
どんなに体を癒してもこころの思い癖があるからすぐに戻ってしまう。
そして、体と心の関係性について興味を持つようになりました。
【例】右がこる人は男性的で肉体的に疲れている。
左がこる人は女性的で精神的に疲れている。
肩甲骨の間がこる人はがんばり屋で罪悪感をためている・・・・とか。

ルイーズLヘイ ライフヒーリング
に感銘を受け
並行してスピリチュアルカウンセリングの勉強も続け
いろいろなスピリチュアルセミナーやスクールに通い始めるようになりました。
【セミナージプシー経歴②】
TFH(タッチフォーヘルス
ドルフィンスターテンプルミステリースクール
ユニオミスティアートオブリーディング
リモートビューイングアドバンス
マカバ瞑想
榊めぐみ/ヒプノスクール
DR Rニーブス /ABH認定コース
スリーインワンコンセプツ
ユニオミスティアートオブリーディング
リモートビューイングアドバンス
カウンセラー養成講座、コーチング ほか
性質によって身体はどうなのかも興味があり占いも勉強しました。

潜在意識は背中に顕れるという。
ある時から施術中に背中に触れると、過去生が視えるようになりました。
矢が刺さっていたり、弾が貫いていたりするビジョンが浮かぶのです。
それをイメージで抜いたり光で溶かしていると消えてしまうから不思議。
ほんとは勝手に見たり処理する前にお断りをするのがエチケットだけど
自然と見えてしまう時はしかたない
当時はお客様にいうとこわがられるので黙っていました

じゅうぶんあやしい店でしたが

ある人は背中にモグラを飼っていました
モグラが出たり引っ込んだりするので
なかなかつかまえられない
その時はさすがにおもしろくて伝えました。
「あの、モグラがいるんですけど・・」
「なんでわかるんですか?!」
その方はジブリ博物館で働いていて
夜の清掃のお仕事でモグラの様にずっと太陽を浴びてないそう。
承認を得て、ヒーリングし
一緒に太陽をイメージをしたら、モグラは昇天してゆきました。
あるときはワハハ本舗の某・若手芸人たちがネタを仕入れにやってくるようになりました
やっぱりへんな店(笑)

あるときにさらに不思議体験をします。
↓
不思議体験③迷い犬
この時、今まで他人に対してえらそうに伝えてきたことは、全部自分のことだったと気づきました。
そういえば同じ場所が痛くなるから「ネガティブエネルギーを受けた」と思っていたのは、
自分が同じ痛みを持つ人を引き寄せていたということにも気づきました。
「クライアントさんは大きな鏡」
そのころ当時の癒しイベント、「すぴこん」でボディリーディングでスピデビューしましたが
10人以上をぶっつづけで施術したら、
ひざはガクガク、ヘロヘロのボロボロになったことも
「なんとかしてあげたい」エゴが強いわたしには
ヒプノセラピーのほうが向いていると気づきはじめました。

なにをやっても中途半端なわたしでしたが
イベントをきっかけに取材を受け、たまたまヒプノセラピストになったのです
雑誌がVIVIだったせいか
なぜか風俗関係のクライアントさんが殺到・・
明るく華やかな彼女だちもそれぞれに心の闇を抱えていました。
夜と闇の世界に長くいたわたしだからこそ共感できる、
わたしにしかできないセッションがあるはず。
2007年、沖縄に移住
かつてあちこちをセミナージプシーしていだときの人脈を生かし
県外から講師をお呼びして沖縄でスクールを展開するというオーガナイザーや
セラピスト時代の経験を生かしてIJM ヒーリングスクールを創立しました。
「必要とされることを必要とする人に提供し喜んでもらう」
それがサービス業の基本です。

わたしの得意は「短時間&低価格で習得できるセラピー」
スタッフたちに教えていた独特の方法がありました。
https://okeiko.ti-da.net/e2084908.html

受講料は2日間~3万円台~と言う気軽に学べるセラピーからスタート。
プロとして活動するには解剖生理学や体の構造も学ばなければなりませんが
身体にふれることを学んだ方なら上達も早く
センスや経験がある人はすぐに習得できるし
どんなに教え込んでもできない人もいます
一番大切なことは「好きかどうか」

「舞台の上で死ねたら本望」とかいいますが
故・丹波哲郎さんは入院中に看護師さんにシャンプーされながら
「ああ、いい気持だ」と言って亡くなったのだそうです。
まちがいなく極楽行きですね
わたしはマッサージするよりされるほうが好きとその時、気づいたという(^-^;
ボディワークセッションは2012年から休止していますが
スクールの方はリクエストがあるときだけ開講していました。
沖縄での客層がガラリと変わったことも理由のひとつ、
東京ではオフィス街につき肩バリバリに疲れた企業戦士が多かったのに
沖縄に住んでる方は体がやわらかく、ナイーブな方が多く
セッションはヒプノセラピーのほうが中心となり
心理療法や占星術などを「教える」方向にステージが変わってゆきました。
そして今。
沖縄での10年を経て
こうして知り合いのほとんどいない横浜から再スタートしましたが
実はいまだに方向性を決めていません
以前だったら目標をきめてまっしぐらだったのに
「どうにでもなる」と
ニュートラルになってきました。
年のせいもあるかな
時代を生き残るためには
今までやってきたことを見つめ直し
新しいスタイルに変えてゆくことです。
コロナのおかげでこうしてなつかしい写真をみつけたり
なくしたと思ってた資料がみつかったり
いろいろなことがリ・サイクルされてゆくのかなぁと思いました。
関係ないけどこの2か月、メルカリで不要品が30点くらい売れたし
長年で身に着けた「技術」と「経験」というお宝を掘り起こして
新しい流れができるといいなぁ
Posted by HIROMI at 21:30
│ひとりごと